2006/04/08

特集 太陽の塔(後編)



行った当日は「太陽の塔」の左側のスペース内で、万博梅祭りがちょうど開催されていました。たくさんのじいさんばあさんが、最新の一眼レフのデジカメを駆使して、梅と太陽の塔を撮影されてました。うーん、それにしてもお元気でいらっしゃる。写真創作に対しても意欲的ですね。素晴らしい。僕でさえ一眼レフと三脚は重いのでコンパクトカメラですませてしまっているのに...。老人に負けてしまっている。そしてここには若者が一人もいないじゃないですか...。若者は物欲が勝り、先に書いたフリマへと流れているのです。なぜだ...!! こんなに梅が綺麗なのに。こんなにも異様でシュールな光景が見れるというのに。そして身体一杯に自然と芸術が感じ取れるというのになぁ...。こんな場所はあまり無いんだぞ!!



万博の後に太郎氏は語っております。「あれが作られた頃は高度経済成長期の絶頂期で、日本中が自信満々の時代だった。そこへ万国博。恐らく全体が進歩主義、モダニズム一色になることは眼に見えていた。そこで私は時代を逆に時空を超えた、絶対感。馬鹿みたいにただどかんと突っ立った『太陽の塔』を作ったのだ。現代の惰性への激しい挑みの象徴として」(自伝抄より)確かにそのとおりです。彼が作ったこの塔は、時代を超越して存在し続けていると思います。彼が貫いていた「対極主義」そのものと言っても過言ではないです。



「太陽の塔」が作られてから36年がたちました。「太陽の塔」は日本社会の現実に対立し、挑発を続けていると思います。そこには常に己自身と向き合わねばならない、我々人類の姿が写し出されているのではないでしょうか。かくも広大なこの敷地の中央に、どかんと立ち続け、ただひたすら我々に向って「未来」でもなく「過去」でもなく、『今』に対して挑み続けろと語る物体。「生きる」ということそのものを表した、芸術を超えた芸術作品なのだと確信しました。



お土産は万博公園内で売っていた「太陽の塔」のミニチュアを買いました。小さい。まさに本物とは対極的であります。家に帰って、本棚にちょこんと飾っています。そしてこのミニチュアを見るたびに、あの巨大なオブジェが発したそのメッセージを感じるのです。いゃあ、面白かった。(完)